美術家が整体師になった理由
とにかく創ることが好きだった
整体を始める前は美術作品を作っていました。物心ついた時から絵や工作が大好きで東京造形大学彫刻科に進学。塑造(粘土で人体を作る)勉強をしていました。卒業後は絵画、彫刻、写真、版画、木工、金継ぎ、しめ飾りなど、様々な表現を研究。アーティストになるとかお金を稼ぐためでなく、とにかく自分が求める表現、納得できる作品を追い求めていました。
大学生のころ、人体塑像を製作中。
初個展(しの原と大学時代の恩師)
マレーシアのワークショップで集まってきた子どもたち
大学卒業後は制作できる環境を求めて職を転々としてきました。中学校、造形教室、放課後等デイサービス、児童相談所一時保護所など、色々なところで子どもと関わる仕事をしてきました。
とにかく自分のために作品を作ってきましたが、子どもたちに美術を教えたり、個展を開いたり海外のワークショップに参加したり、美術を通じて人と関わるうちに、社会の役に立つ仕事がしたいと思うようになりました。
首の怪我・井本整体で痛みがなくなる
20代後半に趣味の武術で首を痛めてしまいました。年に数回、激しい痛みが起きると寝ても起きても痛みが治まらない。整形外科で検査をしても異常がないと言われてしまい途方に暮れていたとき、井本整体に出会いました。
整体とか東洋医学は非科学的でインチキだと思っていたけれど、施術を受けていた妻がスリムになるのを目の当たりにして、体型が変わるなら痛みも治るかもしれないと思って通い始めました。
施術を受け始めて首の痛みはなくなり、腰痛、カクカクして開けにくくなっていたアゴや、踵のガサガサも治りました。施術の後は呼吸が楽になり、視界が明るくなって体が軽くなります。当時は夜アルバイトをして、昼間は作品を作り、趣味のブラジリアン柔術をして、いつもクタクタに疲れていたのでこれは良い、こんな方法があるのかと目からウロコでした。
整体法のセルフケアにハマって部分浴や蒸しタオル、風邪の過ごし方など、自分の体でいろいろ試して効果を実感しました。だからセルフケアの指導には自信があります。
美術と武術と整体のつながり
たまたま誘われて参加した井本整体の練習会で、整体法は自分に向いていると感じました。美術で磨いた目と手の感受性や、武術で培った体の使い方が整体法に深く通じているとに気づいたのです。整体法は今までやってきたことが全部、人のために社会のために役立てることができるし、1番大事にしている健康に関する仕事は、自分にぴったりだと思いました。
井本整体と野口整体、本質を求めて
野口整体・井本整体・浜田整体
井本整体の修行と並行して野口整体の研究を始めました。両方学び、共通点と違いを知ることで、整体法の本質がわかると思ったからです。もう30歳を過ぎていたから人と同じことをしていたら開業に辿り着けない、自分で考えて必死で身につけようと思いました。整体は職人技ですから自分の技を作り出していくものです。野口整体を学んだら野口晴哉になれるわけではないし、井本整体に入門したら井本先生と同じことができるわけではない。先人の知識や技術を自分の血肉に変えて、自分の整体を作り出すことを目指し、道場を離れた今も日々研究を続けています。
癒しの場を作る
「施術をして終わり」ではなく、セルフケアの方法や体の使い方を教えて、不調になる前より健康に導くことを目標にしています。また、多くの方が多忙でストレスをため込みがちなので、愚痴やお悩みに耳を傾けることや、美術家の経験を活かして忙しい日常から離れてリラックスできる空間を演出することも大切にしています。整体も美術も本質は人の心を体を癒すこと。これまでの経験を活かして心身の健康を創造する場所が作れたらと思っています。
「不調」「歪み」を改善したいかたに…これからも整体操法で役に立ちたい
以前のぼくと同じように、原因がわからない不調やゆがみを改善したい、心と体の疲労を解消して元気に、仕事に、趣味に、生活に力を発揮したい方のお役に立ちたいと思っています。整体法の効果は自分の体で20年体験してきたので自信を持っておすすめできます。
先人が残した整体法は、人が自然に生きるための知恵と技術です。テクノロジーの進歩で急激に変化する社会で、より良く生きる助けになると思います。
整体法を広め、生き生きとした人を増やし、元気な社会を作ることがぼくの目標です。
篠原敬典 TAKANORI SHINOHARA
1977年 岡山県生まれ(岩手・埼玉で育つ)
2001年 東京造形大学彫刻科卒業
2015年 川越高等技術専門校木工工芸科修了
2015年 自由が丘浜田整体研究会参加(〜2020)
2016年 井本整体東京本部入門(〜2020)
2021年 東京都文京区で本郷 整体しの原を開業
・国分寺市在住
・趣味:美術・太極拳・ブラジリアン柔術・料理