コロナ禍の飼育放棄の増加について思うこと

100万円のペットを飼育放棄――問われる飼う人のモラル、免許制を導入すべきか

これまでに犬一匹、猫三匹育ててきました。
お金を払って購入したこともないし、飼いたいと思って連れてきたのも1度だけ。
ご縁があってたまたま一緒に暮らすことになった子たちばかりです。
一緒に生活するのは楽しいけれどペットを飼って癒されたいなんて思ったことはありません。
保健所行きになりそうだった子、飼い主が失踪してしまった子、
行き場がなくて仕方なく引き取ったのです。
困っている子をみると助けてあげたくなってしまうけど、多頭飼育で失敗しているのを見たことがあるし、
自分の生活に負担をかけてまで引き取る気は無いので新たに引き取るつもりはありません。
自分のできる範囲で、助けられる子だけを助けられればいいと思っています。

幼児の頃から生き物が大好きでトカゲとか昆虫を捕まえては飼育して、ちゃんと買えなくてたくさん死なせてきて、小学生高学年ぐらいで自分には生き物を飼う資格はないなあと思って生き物を飼うのはやめようと思いました。それからからペットが欲しいなんて思ったことは一度もなかったけれど、次々ご縁があって20年、いつもケモノと生活を共にしています。

犬猫はみんな性格や習慣が全然違うから一緒に生活してみないとどうなるかなんてわかりません。基本的な行動習性みたいなものはあるけれどマニュアル通りに扱えるものではありません。初めて連れてきたときに心配だったから本は見たけれど、あんまり参考にならないから処分しました。基本的に好きなように生活してもらっています。思い通りに育てようなんて思ったことありません。成長の過程で性格も変わってきます。ぼくが育てるとみんな偉そうになります。布団におしっこをする癖がある子と暮らしていたときは本当に大変だったけど、、、それも受け止めてあげないと一緒に生活なんてできません。自分も子供の頃おねしょしていたからね、まあ仕方ないでしょう。生き物を飼うなんて面倒くさいに決まってる。

最期のときは飼い主の一番の見せ場だと思って一生懸命看病します。
無理な治療はしないで自宅で静かに最期を見届けます。
整体を学んでから最期の苦しみを和らげてあげることができるようになったのは良かった。
すごく辛いし悲しいんだけど充実した時間でちょっと楽しくもあるんですよね。
看取りの時は凝縮した大事な思い出です。ペットロスになったことはありません。

死に際もみんなそれぞれで、生き様を見せてくれます。
死ぬってこういうことなのかと教えてもらいました。

自分の生活を豊かにするためにペットを飼う、
自分が生活するためにペットを売る、
自分のためにってところから始まると問題が起こりやすいんじゃないかなあと
記事を読んで思ったのでした。

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